確かに私はそう言ったはずだった。
家に友人が来るので、少し豪華な御飯を作ろうと思い立った週末。
豪華と言っても、自分の乏しいレパートリーと料理の腕。
ここは簡単だけど見栄えのする、ローストビーフを主菜にしようと、家から一番近い肉屋に向かった。
本当はここよりも遠い、隣駅の肉屋の方が安くて質もそれなり(ただし、オーナーがキチガイみたいに店員にいつも怒鳴り散らしているので行くと凹む)なのでそこが良かったが、自分がダラダラしていたせいで行く時間がない。
店に着き、ご主人に、「ローストビーフを作りたいので、牛のモモ肉を塊で600gほど欲しいんですけどありますか?」と聞いた。
ご主人は、「ありますよ」と言い、奥に向かう途中でクルリと振り返り、「100g600円で黒毛和牛に出来ますけど」と笑顔で言った。
そこで私は、冒頭の台詞
「や、いいです、普通ので」
手を横に振りながら答えた。
はぁ、と曖昧な返事で、ご主人は奥の冷蔵庫から肉の塊を取り出し、切り取っている。
その様子を見ている内に、私は何だか不安になった。
あの切っている肉は果たして本当に普通の肉なのだろうか?
まさか・・・
いや、私はいいですと言ったはずだ。
気を紛らわすためにショーケースの中の様々な肉を眺めた。
そうこうしていると、ご主人がパックした肉の塊を手に戻ってくる。
「えーこちら3822円になります」
ぅおおおおーーい!
私の不安は的中していた。
ここで、普通の肉が良かったんですけど!などと言えるハートがあったのなら、私の人生は今とは違うものになっていたと思う。
小心者の私は、内心のた打ち回りながらも、表面では涼しい顔をしてお金を払うしかないではないか。
「美味しいのが出来ると思いますよ、良い肉なので」と、ご主人。
そりゃあそうだろうよ・・・という言葉を飲み込み、力なく「はい」と答える私に、いつの間にかご主人の隣に並んでいた奥さんはニッコリと微笑みを向けていた。
呆然と店を後にした私は、ふと昨日のことを思い出す。
「何で黒毛和牛!?」
バーベキューをすることになり、河川敷で買い出し組の帰りをまだかまだかと待ち、ようやく来た食糧を嬉々として整理していた。
チマッとした量の肉のパックに、焼き肉用黒毛和牛2000円と貼られたラベルが目に飛び込み、私は思わず上記の台詞を言った。
買い出し組の一人の女性は、「○○君がこれ買うってきかなくて・・・」と答え、しまり屋の女達のやり取りを見て、○○君は「良いじゃん、食べたかったんだから」と笑っていた。
「えーまぁいいけどさぁ」
ケチを付けておきながら、人一倍その肉を食べたのは内緒である。
そんなことがあった翌日、自分で購入するとは思いもよらなかった黒毛和牛の塊は手にズシリと重く、昨日のことが遠い日のように思い起こされた。
見よ、これが震えて買った黒毛和牛だ・・・!(胡椒擦り込んでます)
私のサラダ菜の配置のセンスのなさと、おいおいレアすぎねーか?という焼き加減はさておき、びっくりする美味しさだった。
脂の乗りがすごかった。たくさん食べるには、乗りすぎの感もあるが。
あぁでもこれはまた食べたい・・・
インドア気味の私にとって、バーベキューの誘いはあまり魅力的ではなかったが、行ってみると思いの外楽しかった。
晴れ渡る空、川のせせらぎ、見知らぬ浮かれた男女達、突き刺さる紫外線、炭焼きの食べ物、皆の笑い声。
ゆったりとした気持ちで眺めながら、しかし箸のスピードは中々の速度を保ち、椅子にでんと構えていた私に、黒毛和牛を買った○○君が言う。
「君だけ働いてなくね・・・?」